ウォルト・ディズニーの壮絶なストーリー 『何度倒産しようとも、決して心は折れなかった』

 

夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべて一匹のねずみから始まったということを。

ウォルト・ディズニー

 

現状維新代表秘書の沼田です^ ^!
3回の倒産の末に大成功を成し遂げたウォルト・ディズニー。
本日はそんな彼の壮絶なストーリーをご紹介致します!!

失業、倒産の末ハリウッドにアニメーション製作会社を設立

1919年、18歳になったウォルト・ディズニーは漫画家になるという夢を抱いていました。
そしてある広告会社に入社すると、同じ年で同じく漫画家志望のアブ・アイワークスと出会います。

その後ウォルト・ディズニーとアブ・アイワークスは契約を打ち切られ失業。
それを機に、22歳の時に映画館で流すアニメーション制作会社を設立しました。

しかし、思うように受けず、会社は倒産。

親友アイワークスは借金を抱え、広告会社に再就職。

その翌年の1923年、ウォルトは兄ロイと共にハリウッドにアニメーション製作会社を設立します。

ウォルトから手紙

ある日、広告会社にいたアイワークスの下にウォルトから手紙が届きました。

“親愛なるアブ ここはお前にとってうってつけの場所だ。
やりたいことが出来る、本気だよ。子供の時に「西へ行け 西へ行くんだ!」って言われたのを覚えているだろう。
なぜカンザスなんかでくすぶっているんだ。ハリウッドに来いよ。ウォルト”

その後、再びタッグを組んだ二人「オズワルド」という怒爆発的な人気キャラクターを生み出しました。

しかし、オズワルドの人気の目を付けた配給会社の社長:チャールズ・ミンツにより、オズワルドの権利を全て奪われてしまうのです。

それだけではなく、従業員のほとんどが引き抜かれるなどの工作をされ倒産寸前に
なりながらも、2人の心は折れませんでした。

名キャラクターの誕生

ひたすら新しいキャラクターを模索し、ミッキーマウスが誕生します。

アイワークスは1日700枚もの原画をデッサン通常2ヵ月かかる作業をわずうか1週間でやり遂げ、一つの作品を完成させるほどの勢いだったと言います。

1930年代に入るとミッキーアニメーションは世界中で大人気になり、大きな成功をおさめました。

一方でウォルトの胸には新たな夢が膨らんでいた

「大人から子供まで全ての人が日常を忘れて楽しめる遊園地を作りたい」

すぐさまウォルトは徹夜でイラストレイターに指示を出し、たった二日間で構想図を作り上げました。

世界初の巨大テーマパーク開園

そして1955年7月17日、世界初の巨大テーマパーク:ディズニーランドが開園

そしてディズニーランドオープンスピーチでは、
「私はディズニーランドが人々に幸福を与える場所、大人も子供も、共に生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出を作ってもらえる様な場所であって欲しいと願っています。」
と語りました。

その「誰もが楽しめる」というファミリーエンターテイメントの理念は、今も各ディズニーのパークで受け継がれています。

夢をかなえる秘訣は、4つの「C」に集約される。それは、「好奇心」「自信」「勇気」そして「継続」である。
The special secret of making dreams come true can be summarized in four C’s. They are Curiosity, Confidence, Courage, and Constancy.

ウォルト・ディズニー

何度、危機が訪れようとも、それを乗り越えてきた不屈の精神にとても勇気を頂けんますね!
今では全世界で絶大な人気を誇るテーマパークの誕生秘話でした^ ^

 

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